2011年8月27日土曜日

バンバイク



竹は昔から、周りにはなくて、とても興味があった。大学生になるまで見たことがなかった竹を初めて触れたのは、カリブ海にあるマルティニーク島出身の友人に無理言って株を持って帰らせた時だ。大事にはちに植えて、部屋ではやせてみた(カリブ海の竹は熱帯の竹なので、フランスでは室内でしか生きられない)何年かはがんばって芽を出してたけど、結局は枯れてしまった。
次に竹を見たのは1996年、日本に行った時のこと。あんな大きい竹のは見たことなくて写真をいっぱい撮ったり友達に無理言って知り合いの山でとりにいったり、とにかく「変な外人」ぶりを発揮した。竹はきれいで使い道多くて、しかも種類によって食用もできると発見、ますます興味がふかまった。しかし切ってみたりとか形にしてみたりとかはしたものの、いまいち自分が気に入る使い道がなかった。素材自体に感動していたものの、使うことがなかったので心残りがあった。

それが。15年経って、たまたまネットのデザイン雑誌core77を見たら、なんとブルークリンで『バンブーバイクスタジオ』についての記事が載っていて、それからネットで情報を集めた。実は世界もあちこちで、いろんな人が竹で自転車のフレームを作っていると知った。アフリカのガーナで仕事自転車アメリカのグレッグ・カルフィーのおしゃれ自転車東欧スロベニアのメレスさんオーストラリアのミック・エフォードさん中国の会社が大量生産に乗り切ったことも発見。
実は1894年(明治27年)に、イギリスの会社がパテント登録をしていた。当時は、竹の接合に、金属のスリーブを使用していた。しかし今は優れてる素材があります:樹脂。最近の竹自転車はカーボンファイバー、アマの繊維、サイザルアサなどを樹脂で固めて接合する。
さらに、自宅でわりと簡単にできると発見。よし。
実はフレームの4カ所に金属が必要です。それは:ハンドルが通る頭管(ヘッドチューブ)と、サドルのしたの立管(シートポスト)と、ペダルの軸が通るBBシェルと、後輪を支える爪(ドロップアウト)という部品。その部品の調達は、プロ用のネット販売できれいなのを買うか、古い自転車を解体してしまうか。僕の場合お金がもったいないと思い、回りの人にボロチャリないか聞いたらあっと言う間に3台もあつまった。よぉし。
樹脂は、船の修理によく使われているエポキシ樹脂。繊維は、サイザルアサアマのどっちかで迷い、値段でサイザルにした。カーボンファイバーは何となくずるい気がしたし、なかなか手に入らないから最初からやめていた。
あとはビニールテープで、繊維とエポキシを圧縮する感じ。
さて、パーツ提供していただくフレームはこれ:

利用する部分の塗装は、薬剤と金属ブラシではがした。
まだ塗装が残っている部分を一つずつ切り取って、竹に入れ替えることになる。その竹をが金属にあたるところの形を削る方法をネットで探したら、とてもベンリなソフトを見つけた。直径とかく度を入力したら、印刷できる図面を出してくれる。その図面を切り取って、竹に巻いたら、切り線通りに削ればいい。

これは削る直前の状態。


けずったらこんな感じ

つぎは、入れ替え。これは一番大切なところ。でおそらく、順番を間違えて一番しくじったところ。ちゃんとまっすぐになるために、後輪のステーを入れ替えてから、ダウンチューブ(ペダルの所からハンドルの所二つながる部分)を入れ変えるべきだったんだが、そうしなかった:


とにかくエポキシののりでかり止めして、できる範囲でまっすぐにした。かり止め状態は:


次はマスキングして、繊維を手で簡単なロープにして、接合部分をまいて、上からエポキシを流し、穴をあけたビニールテープで圧縮した。それがこれ:


エポキシは6時間くらいで固まる。一晩おいてからテープ外すとこのようになっている:


これはおそらく一気に巻きすぎた感じで、でこぼこ。今度作る時は一層一層を薄くするつもり。
全部の接合部分に十分の樹脂と繊維があると思ったら、今度ならすために削っていく。


フレームはとりあえず一段落したところで、車輪、ハンドル、サドルを組み立てて、乗れるかどうかの確認。


そのときに、ブレーキのケーブルを通す部品は、ジャンクフレームから切り取って、エポキシののりでつけたのだが、それが後に問題になるものだった。ブレーキを使っても耐えたと思い、同じ方法で変速機のケーブル止めを作ったのだが、強い圧力を短期的にだすブレークのケーブルと違って、変速機のケーブルは常時に圧力がかかることがあるので、自転車を全部組み立ててからはしったら、変速機のケーブル止めがすべて外れた。またフレームに戻すはめになった。

だが、今度は、エポキシと繊維で金属のケーブル止めを覆ったので、動かない。





結果は、18速のロード自転車です。しっかりした感触なのに静かで、とても快適な走りをする。
ちなみに、ぼろチャリのパーツはできるだけ使うつもりだったので変速機2台とシフター以外はすべてリサイクル。2台目はもう少しがんばって新品のパーツを買おう。そうしたら軽くなると思うし。今でも13キロで大分軽いけどね。
2台目いつなるのか知らないけど。次のものはフルカスタムで自分の体系にあったものを作る。
それとトレーラーかな。

2011年6月23日木曜日

ひさーーーーーーーーーーーーしぶり

2年ぶりのアップです。いろいろあった中で一番の出来事は、弟のサミと彼女のポリーヌが太平洋のフェリー沈没で亡くなったことです。未だに泣かずに書くことができない。夢に見ていた旅の途中だっただけに、無念でもあり、幸せのまま最後の旅に出たとも思えるのですが、残された私たちはなおることはないでしょう。子供たちもしばらく、「サミはいつかえるの?」などと尋ねて、どう説明すればいいかと大変だった。しかし、子供たちがいるからがんばれるし、元気いっぱいで命を楽しんでいる姿が何よりの心のくすり。



二人はといえば、学校以外は、テオは笛と柔道、リラは音楽と新体操をやっています。リラは来年、ハープかバイオリンをしたいそうです。
今のところ、学校で問題はないですし、毎朝楽しく行ってくれるのでなにより。親ばかなのですが、絶対誰よりもうちの子だけ育ちがいいとおもいます...



嫁はカフェの計画で忙しいのですが、実がなり、お客さんが結構います。活動もいろいろあり、地区のなかでの存在感がしっかりとなってきましたのでよかった。

前に投稿したモウソウ竹なのですが、'09年夏の間家族が日本にいた時、みんな枯れてしまいました。弟のマリックに頼んでいた水やりが足りなかったみたい。梅の木もかれてしまい、唯一のこったのは、偽山椒の木。孟宗竹はもう一回チャレンジしたいです。

仕事は、2009年から、15個のゲームをデザインさせてもらったのでとても楽しかった。今までにない種類の仕事でいろいろと勉強しましたし、自分のデザインが商品になっているのがうれしかった。そのうち、日本人のゲームデザイナーが発明したゲーム、1886をリ・デザインしてみました。今後はどうなるかはわからないのですが、とてもいい経験でした。

あと去年、家族が日本から訪れてくれるというきっかけで、クルマを買うことにしました。いろいろ調べたところ、日本車を進められましたので、トヨタの欧州にしかないキャローラ・バーソの中古を買いました。

クルマには元々大して興味なかったのは、出費は結構あるし、心配事の多いのです。しかしやはり田舎では便利です。

もちろんこっちに長くいればいるほど、日本が恋しくなるのです。この前の大地震/津波で、自分は本当に誰にも役に立たない職業をしていることを痛感しましたのです。転職すべきかもしれない。デザインは無意味なものです。

ちょっと身もふたもない投稿なのですが今後もっと頻繁にアップしたいので、とりあえず。